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尾崎豊さんの葬儀 ~歌手のお葬式~

時代を超えて現在でも愛され続ける歌手の尾崎豊さんは1992年4月25日に肺水腫でお亡くなりになりました。
熱烈で破壊的なライブや、社会や学校の中で感じる葛藤や心の叫びをストレートに表現した曲の数々が若者を中心に多くの共感を呼び、当時は一部の若者の間で一大ブームになるほどでした。今回は、生きる意味や愛を歌にして伝え続けた尾崎豊さんの葬儀・お別れ会について解説していきます。

【目次】
1.尾崎豊さんはどんな人?
2.尾崎豊さんの死因とは
3.尾崎豊さんの葬儀
4.尾崎豊さんの葬儀まとめ

尾崎豊さんはどんな人?

マイク
ここでは尾崎豊さんの人柄についてご紹介していきます。

幼少期~学生時代

1965年11月29日東京都世田谷区の自衛隊中央病院で生まれます。練馬区で育ちましたが、小学5年生の時に転校をきっかけに不登校になってしまいます。そのころ、兄が持っていたクラシックギターを手に取り、尾崎豊さんの音楽人生が始まりました。尾崎豊さんは特に井上陽水さんの詩の世界観に強く惹かれており、毎日、井上陽水さんらの曲をギターで弾きながら歌っていました。

中学生の時には生徒会副会長、文化祭実行委員長を務めましたが、喫煙により停学処分を受けたとされています。その一方で、高校受験では青山学院高等部に合格すると同時に、20倍の競争率があるとも言われている陸上自衛隊少年工科学校の一次試験にも合格しました。しかし、髪を短くするのが嫌という理由で青山学院高等部に進学します。

高校在学中にも喫煙やオートバイの事故などで度々停学処分が下ったそうです。
そしてついには同級生らと飲酒した際に、そのうちの一人が急性アルコール中毒で搬送。その上、大学生グループと乱闘し、パトカーが出動するほどの騒ぎになったと言われています。このことが引き金となり高校を無期限停学処分とされたそうです。しかしこれがオーディションを受けるきっかけになりました。

デビュー

高校二年生の秋、CBSソニー主催の「CBS SONY Sound Development Audition 1982」に応募し、見事オーディションに合格します。
1983年12月には、アルバム「十七歳の地図」とシングル「15の夜」でメジャーデビューを果たします。しかしセールスは伸び悩みます。
その後、野外ライブなどで活動し、口コミにより少しずつ人気が出るようになりました。そして3rdシングルである「卒業」がヒットします。2ndアルバム「回帰線」は音楽チャートで1位を記録し、尾崎豊さんの名は瞬く間に世間に広がりました。

10代の尾崎豊さんは社会への反抗・疑問を題材に歌いました。
「卒業」の歌詞である“夜の校舎 窓ガラス壊してまわった”に感化された若者が体現し、当時社会現象にもなったこともありマスメディアからは「10代の教祖」と呼ばれました。
尾崎豊の影響力は当時の若者にとって凄まじいものだったことがわかります。

無期限の活動休止

人気絶頂だった中、尾崎豊さんは方向性を見失い1986年20歳のときに無期限の活動休止を発表します。そして1987年12月に覚せい剤取締法違反で逮捕されます。懲役1年6ヵ月、執行猶予3年の判決が下されました。
その後、1988年には一般人女性と結婚し、1989年には息子である尾崎裕哉さんが誕生します。

尾崎豊さんは結婚や子供の誕生など自身の体験に新たな価値観を見出し、1990年にはアルバム「誕生」をリリースし、再び音楽チャートで1位を獲得しています。1991年には復活ライブを行い大成功を収め完全復活を遂げました。

尾崎豊さんの死因とは

尾崎豊さんは完全復活を遂げた直後の1992年4月25日に26歳という若さでお亡くなりになりました。死因は肺水腫と言われています。肺水腫は何らなの原因によって肺に水が溜まり、呼吸困難によって亡くなってしまう病気です。

尾崎豊さんは人気絶頂のさなか、26歳というあまりにも若すぎる死ということもあり、多くのファンが悲しみに暮れました。しかし、尾崎豊さんの死後も人気は衰えるどころか加速していき、「OH MY LITTLE GIRL」はミリオンセラーを記録します。そして時代を超えた現在でも尾崎豊さんの曲は歌われ続けています。尾崎豊さんの曲の中には老若男女問わず誰しもが知っている曲がいくつもあります。

尾崎豊さんは時代や年代を問わず、誰からも愛される歌手となりました。

尾崎豊さんの葬儀

葬儀
尾崎豊さんの葬儀は、まず密葬が日蓮正宗にて執り行われました。
その後、1992年4月30日、東京都文京区の護国寺にて葬儀・追悼式が行われ、参列者は4万人近くに上りました。平日にも関わらず多くのファンが参列のために集まり、護国寺の最寄り駅は大混乱に陥りました。また、参列するために前日から並ぶ人も出るほどでした。多くのファンが集まったことから、いかに尾崎豊さんがファンから愛される歌手であったかということが伺い知れます。葬儀の規模としては美空ひばりさん、吉田茂さんに匹敵するほどの大きさとなったそうです。

また、葬儀会場では「I LOVE YOU」が、告別式では「ダンスホール」などの尾崎豊さんの数々の名曲が流されたそうです。そして追悼式では、尾崎豊さんのヒットソングである「卒業」が4万人の参列者により合唱されたそうです。

尾崎豊さんの葬儀まとめ

尾崎豊さんは、悩める若者の心強い味方であり、代弁者でもあった偉大なミュージシャンでした。26歳という早すぎる死でしたが、その短い人生は想像もできないほどたくさんの人に愛されていました。尾崎豊さんの死から時間の経った今でも彼の歌は歌われ、記憶の中で生き続けています。繊細で素直な心を持った若者の葛藤を歌にし続けた尾崎豊さんの歌は亡き今でも悩める若者の心の支えとなっているでしょう。

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