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用語集

天竺(てんじく)

天竺(てんじく)とは、現在のインドの事。

解説

天竺(てんじく)は仏教が伝わった頃の中国、日本で使われていた古称。
サンスクリット語で、河を意味し、現在の印度(いんど)全体を表している。
他に身毒(しんどく)、竺土(じくど)、天篤(てんとく)、賢豆(けんず)とも呼ばれていた。

お釈迦様が生まれ、悟りを開いた場所と言われている

お釈迦様は、西暦紀元前463年4月8日に天竺(現インド)の釈迦族の王子としてお生まれになったと言われています。
何不自由なく暮らしていたお釈迦様はある日「生、老、病、死」を目の当たりにし、生と死について深く悩まれました。

そしてある日、出家した修行者に出会い29歳でお釈迦様は「悟り」を開くため住み慣れた城を出て出家をする。
この一連の話を四門出遊(しもんしつゆう)という物語によって伝えられております。
6年間の苦行をしたが悟りを得る事が出来なかった。
苦行を重ねてきたため身体は弱りきり骨と皮だけに痩せ細りとうとう動けなくなり
そこにスジャータ村の少女より乳粥の施しをうけ、その後菩提樹(ぼだいじゅ)の下で座禅を組み
あらゆる悪魔からの誘惑(欲望、恐怖、等の煩悩)に打ち勝ちお釈迦様は、12月8日に悟りを開いた。
その菩提樹の挿し木の子孫がブッダガヤの大菩提寺に存在している。
お釈迦様は、仏陀・ブッダ(サンスクリット語で目覚めた人の意味)とも言われています。

天竺を目指した玄奘三蔵(げんじょうほうし)

玄奘三蔵(げんじょうほうし)三蔵法師と言った法がピンっときますよね。
三蔵法師ときたら、悟空、猪八戒、沙悟浄と旅をしながら有難いお経を天竺に取りに行く物語が西遊記です。
玄奘三蔵(げんじょうほうし)はその西遊記の三蔵法師のモデルと言われております。
玄奘三蔵(げんじょうほうし)は、長安を629年国禁を犯した為ひっそり中国からインド(天竺)ビハール州にあるナーランダ大僧院まで旅をしたといわれている。
旅では、スエク峠は、氷点下にもなり春を待って登ったが、10人のうち、3,4人が凍死したと言われており、かなり過酷の旅だった。
その旅の中聖地ガンダーラに到着後仏陀が生誕したマガタ国に行き参拝。
また三年かけてインド北部の仏跡を巡り、そして三年ほどかけて中・南インドを参拝。
その間に般若心経を等の657もの経典、仏像を集めた。
帰国した時にはその経典仏具を馬20頭に背負わせて運ばせたぐらいの量だった。
旅の距離は、往復3万㎞を17年旅をしたそうです。
玄奘三蔵(げんじょうほうし)は645年皇帝から帰国を歓迎され中国に戻った。
中国・西安に玄奘が持ち帰った経典仏具を保管するために建てられた建物があります。

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