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用語集

臨終行儀(りんじゅうぎょうぎ)

臨終時(人が死を迎える)における心構えや儀式作法のことを指す用語。臨終の行事、臨命終時行事とも。

解説

「臨終行儀」は「臨終」と「行事」から成る言葉で「臨終」は「臨命終時(りんみょうじゅうじ)」の略で、命の終わる死の時に直面すること、またその時をいいます。一方で「行事」は仏教における修行の方法や形態のことをいいます。つまり、仏教において、「臨命終時」は「命の終わる死に直面したときにおける修行の方法や形態」のことをいいます。

臨終行儀は人が死を迎える(臨終する)際に行われる儀式作法の事を指し、昔からある日本式のターミナルケア、またグリーフケアのひとつとも考えることができます。そもそも臨終行事は死んでいく人とそれを看取る人(家族や友人など)の心得としても行われていたと言われています。現在のように入院できる病院や福祉施設などが充実していなかった時代は、医者にかかることさえ贅沢とされており、多くの人が自宅で最期を迎えていました。そのため、近親者のみで最期を迎えることも多く、「死を迎える」ために死んでいく人とそれを看取る人、それぞれの心構えや作法がありこれが臨終行儀の基礎とも言われています。安らかな最後を迎えさせたいという想いとそれを実現する智恵を集めたものが臨終行儀となったと言われています。

仏教における臨終行儀の作法

臨終行儀は仏のお迎えを待つための作法であり、臨終にあたってのお経の唱え方、故人の服装、部屋の飾り方などが細かく決められています。臨終行儀の作法については宗派などによっても異なり、様々な僧侶が書物にまとめたものが残っています。ここでは代表的な臨終行儀の作法をご紹介します。

まず、臨終を迎えるためには準備が必要です。この世に心残りがないように財物を寄進し、雑務を人に任せ、浄土のことだけを考えるようにしなければなりません。また、臨終を迎える部屋は西日の当たるところが良いとされています。

次に病人は北枕にし、体の表を西に向けます。三尺の阿弥陀像を用意し病人から五尺くらい離し、寝たままで見えるようにします。仏像の左手に五色(青黄赤白黒)の糸を取付け、病人の右手の指に掛け止めます。

そして、いよいよという時になったら、「臨終の時である」と耳にあてて聞かせます。その後は何も言わないようにし、体にさわったりしないようにします。付き添いの人またはお坊さんが「南無阿弥陀仏」を死にゆく人と声をあわせて念仏を唱えます。その際、魔除けの鐘を早すぎず、強すぎず、柔らかく静かに、絶やさないように打ち、正念を与えます。

また、臨終を迎える人は喉がかわくので、清い水を置いて、それに紙を浸して唇を濡らします。臨終の間際になったら、看取る人は鐘を打ちながら念仏のみを称え、臨終者から目を離さず息を引き取る瞬間を必ず見とどけます。息絶えた後もしばらくは念仏を耳に入れるようにします。これが「枕経」の本来の姿でもあります。

臨終行儀は死と向き合うこと

死というものはどんな時代になっても、受け入れがたいものです。しかし生があるもの全てに死は訪れます。死を受けいれることは全ての人に訪れる試練であり、死から眼を背けることは、生からも眼を背けることになります。

現在では、ほとんどの方が病院や福祉施設で死を迎えることが多くなり、治療に関しては恵まれているが、その反面、病気や死に関することの多くが病院や福祉施設まかせになってしまっています。

仏教の教えでは、「死はこの世からあの世への通過点であり、極楽浄土への入り口である。」とされています。また、キリスト教やイスラム教など様々な宗教がありますが、死後の世界観は宗教によって異なるものの、存在しているものが多くあります。

「死は永遠の暗闇である」「死んだら無になる」というのでは、死にゆく人を慰めるのは難しく、死後の世界を説くことは、死に対する恐怖心を薄れさせる効果が考えられます。

つまり、人は誰しも死に向かって生きているからこそ、私たちは死後どうなるのかという、死の問題の核心があります。臨終行儀は人生の一大事に対処するために誰もが心得ておくべきことでもあります。

臨終行儀に関する書物

臨終行儀に関する書物の中で有名なのは平安時代中期の僧、源信(げんしん)が書いたとされる「往生要集」の中の「臨終行儀」が最も有名とされています。内容は死後に極楽に往生するには、一心に仏を想い念仏の行をあげる以外に方法はないと説かれており、浄土教の基礎となっています。

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