宗教儀式を行わない葬儀ならお坊さんのいないお葬式「用語集」ページ

用語集

黄檗宗(おうばくしゅう)

江戸時代に開創された禅宗の一派で日本の三禅宗のうちの一つ。

解説

江戸時代に中国の禅僧、隠元禅師によって開創された禅宗の一派を黄檗宗といいます。黄檗宗は中国の臨済宗が起源で、日本の臨済宗、曹洞宗、並ぶ三禅宗のうちの一つとされています。本山は、隠元が開宗した京都府宇治市の黄檗宗萬福寺です。

黄檗宗は中国の禅の華厳、天台、浄土などを反映した中国式の禅宗です。読経よりも自己の内を観て深く省みることを深める「看話禅」(師から示された話頭、公案を解き悟る禅)や「座禅」に重きを置いているのが特徴です。儀式や作法などについては明時代のものが使われているといわれています。

臨済宗とは密接な関係を持っているが経典の読み方や法要に使う物などは臨済宗と大きく異なります。

黄檗宗誕生の背景

江戸時代寛永1615年~1644年の頃、長崎には明朝(中国)の動乱から逃れてきた多くの華僑(中国人)が在住していました。こうした華僑、特に福州(中国)から来た人達によって興福寺、福済寺、崇福寺の“長崎三福寺”が建てられ、この寺には明僧も多く招かれていました。

やがて、福建省福州の黄檗山萬福寺で住職として盛んに禅の教えを布教していた隠元も1654年に日本から度々の招きに応じて63歳の時に20名の弟子と職人などを引き連れて長崎に訪れました。
隠元は将軍徳川家綱より寺の領地10万坪を受けて中国の黄檗宗萬福寺に似た明朝様式の禅寺を創建しました。建築や装飾に関しては、共に渡航してきた職人により行われました。

完成した寺院は隠元禅師が黄檗宗萬福寺と名付け、初代住職となりました。そして、日本の修行僧の多くが隠元に帰依し弟子となりました。中には後水尾法皇や徳川家の将軍もいて、天皇家や武家にも黄檗宗の教えが広がりました。

電話をかける(無料) 資料請求