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小出義雄さんの葬儀 ~マラソン指導者のお葬式~

大きなサングラスがトレードマークで、シドニーオリンピック女子マラソン金メダリストの高橋尚子さんを育てたことで有名な小出義雄さんの葬儀についてご紹介します。

【目次】
1. 小出義雄さんはどんな人?
2. 小出義雄さんの死因と葬儀内容とは
3. 小出義雄さんの葬儀まとめ

小出義雄さんはどんな人?

小出義雄さんの葬儀 ~マラソン指導者のお葬式~
1939年、千葉県佐倉市で誕生します。高校卒業後は家業を継ぎ農業に従事していましたが、それまで没頭していた陸上競技への思いを断ち切ることができず、様々なアルバイトをやりながら昭和高圧(現:高圧昭和ボンベ)駅伝部で競技を再開します。その後、苦学の末、22歳の時に順天堂大学体育学部へ入学し、箱根駅伝に3年連続で出場しました。
順天堂大学を卒業後は、体育科・保健体育科教員となり、千葉県の公立高校で教鞭をとります。それと同時に陸上指導者としての人生がはじまります。元プロボクサーの野木丈司さんは佐倉高校時代の教え子、元水泳選手の鈴木大地さんは市立船橋高校時代の教え子でした。
1986年に自ら指導をしていた市立船橋高校陸上部を第37回全国高等学校駅伝競歩大会で優勝に導いたのち、本格的に指導者の道へ進むため教職を辞して1988年にリクルート・ランニングクラブ監督に就任します。
当時のリクルート・ランニングクラブはまだ創部間もなく、強化のために小出さんが迎えられました。2期生には有森裕子さんが在籍しており、小出さんは代名詞とも言える「褒めて育てる」指導で有森さんを育て、バルセロナ五輪では銀メダル・アトランタ五輪では銅メダルと2つのオリンピックメダルを獲得する選手に育て上げました。「初めて自分を自分で褒めたいと思います。」と泣きながら語った姿が印象的でした。
その後、部内の確執から1997年に積水化学へ移籍します。
また、有森さんが育った後に入れ替わるように頭角を現したのが高橋尚子さんです。
高橋さんは大学までは中距離がメインの選手でしたが、小出さんが高橋さんの才能に気づき長距離に転向させました。前出の通り「褒めて育てる」指導をし、常々「お前はマラソンで世界一になる」と言い続け、厳しいメニューを日々こなしていったそうです。
その結果、2000年シドニー五輪では見事女子マラソン初の金メダルを獲得。レース後は「すごく楽しい42キロでした。」と笑顔の高橋さん。ついに世界一の選手を育て上げました。
シドニーオリンピックの翌年には佐倉アスリート倶楽部を設立し、代表取締役兼現場監督に就任し、積水化学退社後もユニバーサルエンターテイメントなどでも指導をし、指導者業から勇退する2019年まで多くの選手を育てていきました。
お酒好きとしても知られており、レース後のインタビューの度にお酒を飲んで顔が赤くなっていました。高橋さんがシドニーオリンピックで金メダルを取った時には、レース途中ですでに「これは勝てる」と思い、祝杯と称してお酒を大量に飲んでしまいゴール地点や祝勝会に参加できなかったのは有名な話です。

指導者としての最後の大会になったのは2019年3月10日の名古屋ウイメンズマラソンでした。その会場で偶然にも自らが育成した有森裕子さん・鈴木博美さん・高橋尚子さんが揃い、最後の記念として皆で写真を撮ったそうです。

小出義雄さんの死因と葬儀内容とは

小出義雄さんの葬儀 ~マラソン指導者のお葬式~
最後の舞台となった名古屋ウイメンズマラソンから3週間もたたない3月26日に自宅倒れ病院へ緊急搬送されました。一命は取り留めたものの、笑いながら「あと2,3日だな」と口にしたそうです。また自らの死期を悟ったのか教え子らに電話をかけて入院の報告をし、病院にお見舞いに来た教え子達に対して「俺が死んでも、絶対に泣くんじゃないぞ!演歌でも聞きながら、みんな酒でも飲んで笑ってよ」と話したそうです。
一時は回復の兆しを見せていたものの、4月23日夜に容体が急変、翌4月24日に肺炎のため帰らぬ人となりました。80歳でした。
葬儀・告別式は千葉県佐倉市のさくら斎場で執り行われ、陸上関係者ら約600人が参列しました。
高橋尚子さんは4月18日に小出さんに送った手紙の内容を読み上げる形の弔辞で「弱かった私を根気強く指導してくださってありがとうございました」などと涙ながらに優しい口調で感謝の思いを伝えました。
また小出さんを納めた棺は、今までに小出さんが育ててきた高橋さん、有森さん、鈴木さんらの手で運び出されました。

小出義雄さんの葬儀まとめ

出棺後に取材に応じた有森さんは「平成元年に監督と出会い、平成の最後に監督とお別れ。監督から受けたものを次の世代に引き継いでいきたい」と話しました。
その生き様はまさに女子マラソン界の歴史と常識を塗り替えてきた平成の名監督であり、平成の時代をまっとうし、令和へ突入しようとしたタイミングで、この世を去りました。

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