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hide(X JAPAN)さんの葬儀~歌手のお葬式~

X JAPANのギタリストとしてHIDEとして活躍し、hide with Spread Beaverやzilchとして歌手やプロデューサーとして活動していたhide(本名:松本秀人・まつもと ひでと)さんは1998年5月2日に急逝しました。
人気絶頂の中、わずか33歳の若さで亡くなったhideさんの葬儀・お別れ会について詳しく解説していきます。

【目次】
1.hideさんはどんな人?
2.hideさんの死因と葬儀内容
3.hideさんの葬儀
4.hideさんの葬儀のまとめ

hideさんはどんな人?

生い立ち

hideさん1964年12月13日に神奈川県横須賀市で飲食店を経営する両親の元に生まれました。兄弟は弟でhideさんのマネージャーだった松本裕士さんがいます。

少年時代は肥満体系でコンプレックスがあり内気で大人しい子供でした。
小学生の頃、hideさんはロックミュージシャンに憧れており、深夜ラジオでロックミュージシャンは痩せてなくてはという言葉を聞き、ダイエットを行い肥満体系を解消されたそうです。

学生時代のhideさんは祖父から医者を目指しなさいと言われ、学習塾などたくさんの習い事を行う優等生でした。
小学校の卒業文集でも「医者になって見離された患者さんを助けてあげたい」と綴られています。

そんなhideさんのギターとの出会いは中学時代。
友人やアメリカのロックバンド「キッス」のレコードを初めて聴いて衝撃を受けたことなどの影響で祖母からギブソン製のエレキギターを高級なギターを買ってもらっています。ギターをひたすら練習をしていましたが、バンド活動は行っておらず、県内屈指の進学校へ入学しました。

その高校はエレキギターが禁止だったため、バンドを組むことができず、当時不良の溜まり場だった横須賀のどぶ坂通りに出入りするようになり、そこで出会った仲間たちとロックバンド「SAVER TIGER(サーベルタイガー)」を1981年に結成することになりました。「SAVER TIGER」での活動は1987年1月28日の目黒鹿鳴館のコンサートを最後に解散するまで6年間にわたって活動されました。

hideさんは高校卒業後、明治大学に進学し中退します。
その後は祖母の影響もあり、美容師になるためハリウッドビューティ専門学校に進み、卒業後は美容院で働いていました。「SAVER TIGER」の解散後は音楽活動からは足を洗い、美容師として生きていくことを決心したためバンドから誘いがあってもすべて断っていました。

Xとの出会い

hyde 葬儀
SAVER TIGERが解散後、数々のバンドから誘いを受けていたが断り続けていましたが、1987年初め頃、hideはYOSHIKIから誘われhideはX JAPAN(当時は「X」)に加入することになります。

X JAPANは1982年、当時高校2年生だったYOSHIKIさんとToshIさんを中心に千葉県館山市で結成された中心に彼らの出身地でもある千葉県館山市で結成されたヴィジュアル系ロックバンド。

YOSHIKIさんは非常にストイックで、1日10時間以上も練習するほどでした。それに耐え切れなくなり、脱退したメンバーは20名を超えています。YOSHIKIさんはお互いに認め合い、尊敬し合い、成長し合えるメンバーを常に探し続けていました。

そんな仲間を探していたYOSHKIさんはSAVER TIGERのライブを観て、「hide以上のギタリストには会えない」とhideさんをメンバーに迎えたいと思うようになりました。

当時のSAVER TIGERは絶大の人気を誇り、知名度も高く、ファンも定着し、メジャーデビューも期待されていたバンド。それに比べX JAPANはメンバーが安定しない不安定なバンドでしたが、YOSHIKIさんはそれでもhideさんに一緒にやろうと引き抜きを続けます。

ある日、SAVER TIGERのライブの打ち上げに参加したYOSHIKIさんがSAVER TIGERのリーダーのhideさんに対し、メンバーがいるのにも関わらず、「hide、Xに入れ!!」と叫んだことがあるそうです。YOSHIKIさんのhideさんに対する熱い気持ちが伝わるエピソードです。

SAVER TIGERが解散することになり、hideさんからSAVER TIGERが解散したことが告げられます。YOSHIKIさんはhideさんからの話を聞き、ギターを捨て美容師への道を進むと決意したhideさんの気持ちを尊重しX JAPANに誘うことはしませんでした。

その後、本当にギターを捨てるか悩んでいたhideさんが練習中のX JAPANのスタジオに訪れ、練習終わりに飲みに行った際、hideさんはメンバーに「オレ、Xに入るよ」と宣言します。

バンド解散後、美容師になると言っていたhideでしたが、X JAPANの練習風景や打ち上げに参加して、ギターを捨てることができない自分の気持ちに気づいた瞬間でした。
こうしてX JAPANのメジャーデビューのメンバーがそろいます。

X JAPAN メジャーデビュー

インディーズ時代から積極的にライブを行ったり、「いくら良い曲を作っていても聴いてもらえなければ意味が無い」と知名度を上げるため、日本テレビ『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』など積極的にテレビにも出演し、知名度が高かったX JAPAN。
こういったテレビ出演はロック界の風潮で音楽番組以外のテレビ出演はタブー視されており、バラエティで笑いのネタを提供するなんでもっての他でしたが、おかげで全国区の知名度がありました。

hideさんのX JAPAN加入後の初仕事も「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の企画で行われた「やしろ食堂」でのライブでした。人気のない食堂に人を呼ぶためにライブを行うというテレビの企画でした。X JAPANのファンの中では伝説のライブとなっています。

そして、1988年4月に1作目のアルバム『Vanishing Vision』をリリースし、1989年4月21日に2作目のアルバム『BLUE BLOOD』でメジャー・デビューをします。

『Vanishing Vision』はオリコン初登場6位、60万枚のセールスを記録し、当時のロックバンドでは異例の記録を打ち立てました。

メジャーデビュー後も音楽番組などの積極的なメディアに出演し、ヴィジュアル系ロックバンドを世間に浸透させていき、X JAPANは日本有線大賞新人賞・日本ゴールドディスク大賞など数々の賞を受賞しました。

そして1992年1月5日~7日の3日間、日本人アーティストとして初の東京ドーム3日間連続公演『破滅に向かって』を開催し、延べ12万人を動員しました。
また1992年に世界進出のためバンド名を「X」から「X JAPAN」に変更しています。

X JAPAN 解散

人気絶頂の中、X JAPANのボーカル1997年4月にToshIさんが脱退します。
ToshIさんの脱退は音楽性・方向性の違いと発表がありましたが、
ToshIさんは自己啓発セミナーの主催者に洗脳されバンドを脱退しました。

ToshIさんはスターとして成功したToshiIさんを利用する家族の姿や世界進出に伴い、どんどん要求が高くなっていくYOSHIKIさんの要求に答えることができないことによる歌手としての自信喪失から気力を失います。

そんな弱り果てたToshIさんに洗脳の魔の手が忍び寄ります。

きっかけは1993年にロックオペラ『ハムレット』の主役を演じ、そこで共演し、後に結婚することになる守谷香さんとの出会いでした。
守谷香さんに誘われ、ヒーリングアーティストを名乗るMASAYAが主催するセミナーに受講し、洗脳をされます。
この洗脳により「X JAPANは世界中の若者をダメにした張本人」と罵倒され、脱退することになったのです。

ToshIさんが脱退することになり、後任のボーカルを見つけることができず、1997年9月22日にX JAPANは解散を発表します。
そして1997年12月31日に東京ドームにてラストライブ『THE LAST LIVE〜最後の夜〜』を開催。
ラストライブは5万2000枚のチケットが2分で完売する最速記録を打ち出しています。ラストライブ後、『第48回NHK紅白歌合戦』に出演し、幕引きとなりました。

これがX JAPANとしてのhideさんの最後の姿となります。

hideさんの死因と葬儀内容

hideさんはX JAPAN解散後、hide with Spread Beaverやzilchとしての活動がメインとなります。

1998年5月1日、hideさんはhide with Spread BeaverのメンバーとD.I.E、Chirolyn、K.A.Z、hide、KIYOSHI、JOE、I.N.A.とフジテレビ音楽番組「ロケットパンチ!」の収録でROCKET DIVE、ピンクスパイダー、ever freeなどのライブの収録を午後10時30分頃まで行い、その打ち上げに向かいました。
hideさんは泥酔するまで飲み、マネージャーである弟の松本裕士さんに送ってもらい、東京・南麻生のマンションに収録翌日の5月2日午前6時30分に戻りました。

その1時間後の5月2日午前7時30分頃、hideさんと同棲していた女性が寝室のドアノブにタオルを掛け首を吊った状態のhideさんを発見します。
その後、病院に緊急搬送されましたが、午前8時52分に死亡が確認されました。
病院に着いた時には心肺停止状態だったといいます。

すぐにX JAPANのメンバーにも訃報が伝えられ、ToshIさん、PATAさん、HEATHさんが遺体と対面しています。YOSHIKIさんはロサンゼルスにいたため、電話で訃報が伝えられました。

5月2日午後3時頃から、「元X JAPANのギタリストhideが死亡、警視庁は自殺と断定」と速報が報道されました。

hideさんが自殺だったのか、事故だったのかは未だにわからない部分も多いですが、
遺書もなく、新しいグループでの活動も順調で、プライベートでは難病の少女と交流を深め、全ての予定をキャンセルしてでも危篤に陥った彼女に励ましの声を送るなどし、自殺するような兆候もなかったhideさんが自殺することは考えにくかったのですが、当時のメディアでは楽曲「ピンクスパイダー」の歌詞で蜘蛛が飛ぶのに失敗し落下するシーンをhideさんの自殺願望があったと伝えたり、最後の発表曲「HURRY GO ROUND」の「身は朽ち果てて思い出のかけら土に帰り」という歌詞が輪廻転生を連想させることなど、楽曲や映像の一部を切り取り、あたかも自殺であることを断定するような報道を行いました。

後追い自殺

hideさんの死を受け、築地本願寺にはファンが押し寄せ、
その数はなんと5万人を超えていたと言います。

またファンが後追い自殺をするというニュースが流れました。
これによりYOSHIKIさんが後追い自殺を思いとどまるように5月4日の夜、hideさんが安置されている築地本願寺の門の前でファンに向け呼びかけました。

以下はYOSHIKIさんのメッセージ内容になります。

今回、突然の彼の死を聞いてとてもショックです。
今もまだ信じられない気持ちです。
今とてもきれいなな顔をして眠っています。
何度も起こそうとしましたが、彼は眠ったままです。

HIDEは、X Japanの中でも、一番冷静に物事を考える人でした。
リーダーでありながら、短気で衝動的に行動する僕に、
いつも冷静で的確な助言をしてくれたのも彼でした。
バンドの事、音楽の事、友達の事、人生の事、ファンの事、どんな事でも話し合いました。
ファンのみんなの声、気持ちをいつも僕に伝えてくれたのもHIDEでした。
うまく言葉がまとまりませんが、彼は本当に知的で、冷静に物事を考える人でした。

もちろん様々なプレッシャーの中で、彼が彼自身を見失うこともありました。
でも、そんな時には必ず僕に電話をかけてきました。
時には兄の様に感じられ、時には弟の様でもありました。
時にはお酒を飲んでお互いにケンカもしました。
でも次の日は必ず「YOSHIKI、昨日何かしたっけ?ごめんね、何も覚えてなくて」と、そんな感じでした。

でも今回は、何も言ってこないまま眠りについてしまいました。

ファンの方々、友達の方々、みんなとても混乱していると思います。
ただ、自分自身もこの悲しみをとても言葉などでは表現できませんが、ただ今こうなってしまった以上、僕らは現実をしっかり受け止めなければならないと思います。
ご両親をはじめ、家族の方々、友達の方々、今みんながんばっています。
そしてX Japanのメンバーもみんながんばっています。
だからファンのみんなもがんばってください。

いつも僕らを励まし支えてくれたHIDEを、今は僕らやファンのみんなの力で素敵に送ってあげましょう。

彼の永遠の、永遠への眠りをあたたかく見守ってあげてください。

hideさんの訃報を受け、後追い自殺をした人数はわかっていませんが、60人ともいわれています。マスコミも事態を重く受け止め、最初に後追い自殺があってから、報道を自粛しました。

hideさんの葬儀

hyde 葬儀
亡くなった翌日の5月3日、hideさんの遺体は東京の浄土真宗 築地本願寺に安置されます。そして5月5日に親族やX JAPAN・hide with Spread Beaver・zilchのメンバー、LUNA SEAやGLAYなどバンド仲間や音楽関係者など300~500人ほど集まり密葬を執り行いました。

密葬にもかかわらず、全国から駆け付けたファンが2000人以上、築地本願寺に集まりました。

その後、お通夜と告別式、そして献花式の日程が発表されます。
献花式は通夜・告別式を行う、5月6日午前10時~午後7時、と5月7日午前10時~午後2時でした。
献花式はファンとの交流を何よりも大切にしていたhideさんの遺志をくみとり、集まったファンのために行われました。

5月6日の通夜の日の献花式には1万2000人のファンが訪れ、告別式がある5月7日には美空ひばりさんの葬儀を上回る5万人ものファンが集まりました。築地本願寺への献花を行う列は墨田川に沿い2キロにも及びました。

この日はとても暑く、197人が倒れ、56人が救急車で運ばれています。

祭壇にはhideさんが愛用していたFERNANDES MG-CUSTOMやBurny MG-Xなどのギター22本が並び棺の中のhideさんは愛用していた迷彩服を着ていました。
hideさんの死化粧は生前からメイクや衣装を担当していたスタイリスト高橋恵美さんが行われたそうです。

葬儀ではYOSHIKIさんが弔辞を読まれ、告別式には「Forever Love」がX JAPANのメンバー、YOSHIKIさん、ToshIさん、PATAさん、HEATHさんにより演奏されました。
出棺の際は霊柩車が築地本願寺を出ると、ファンが押し寄せパニックとなります。
hideさんの戒名は「秀徳院釈慈音(しゅうとくいんじゃくじおん)」
お墓は神奈川県三浦市の「三浦霊園(神奈川県三浦市南下浦町金田1299番地)」に建てられました。
墓石には「hide」と掘られており、最期に発表した楽曲『HURRY GO ROUND』の歌詞が彫られています。

hideさんの葬儀のまとめ

今回はX JAPANのギタリストとしてロック界の伝説となったhideさんの密葬・葬儀・告別式について紹介しました。
hideさんファンから愛されていたため、訃報による不幸の連鎖が起こりましたが、その不幸の連鎖を止めるためメンバーがhideさんの想いをくみとり行動しているのが印象的です。
きっとhideさんの温かく優しい気持ちはメンバーやファンにも引き継かれていくことでしょう。

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