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八千草薫さんの葬儀~女優のお葬式~

元宝塚歌劇団の娘役のスターで、ドラマ「やすらぎの郷」やNHK連続テレビ小説「やんちゃくれ」などに数多くの映画やドラマに出演した八千草薫(やちぐさ・かおる、本名・谷口瞳たにぐち・ひとみ)さんが2019年10月24日に亡くなりました。
今回は、日本を代表する女優、八千草薫さんの葬儀・お別れ会について詳しく解説していきます。

【目次】
1.八千草薫さんはどんな人?
2.八千草薫さんの死因と葬儀内容
3.八千草薫さんの葬儀
4.八千草薫さんの葬儀のまとめ

八千草薫さんはどんな人?

生い立ち

八千草薫さんは1931年1月6日に大阪府大阪市天王寺で誕生しました。
八千草薫は芸名で本名は谷口瞳(たにぐち ひとみ)(旧姓:松田)です。

八千草薫さんは2歳の頃にお父さんを亡くされており、兄弟もいなかったため女手一つで育てられるました。

当時はまだ戦時中で、自宅も空襲で焼けてしまった経験があることや、体が弱かったため、学校を休むことも多かったようで、幼少期は苦労されていたようです。
また戦時中の体験や敗戦後の焼け野原を目の当たりにしたことから、「色のある世界」や「夢のある世界」に飢えていたことが華やかな世界を目指したきっかけともなっています。

宝塚時代

八千草薫さんは聖泉高等女学校(現プール学院中学校・高等学校)に通っていましたが、新聞で宝塚歌劇団・音楽学校の生徒募集の広告を見たのをきっかけに受験を決意。お母さんもまさか受かるわけがないと反対していましたが、まさかの一発で合格しました。これにはお母さんもびっくりしたようですが、せっかくだからと応援してくれたため、聖泉高等女学校を中退し、1946年に宝塚音楽学校に入学し、宝塚歌劇団34期生として1947年に戦後初の新人として宝塚歌劇団に入団します。

宝塚入団時の成績は50人中19位とパッとせず、入団当初は花組に配属され「分福茶釜」の狸などコミカルな役を当たり役としていました。

1952年に『源氏物語』の初演で「光源氏」の妻役の「紫の上」の少女時代「若紫」を演じ、可憐で無垢な若紫を内面・外面ともに見事に表現し、大絶賛され人気スターとなりました。
その後は1951年の『虞美人』の「桃娘」役や1952年の『ジャワの踊り子』の「アミナ」役に出演し、美貌の清純派娘役を多く演じ、当時、男役トップスターの春日野八千代さんの相手役となり一時代を風靡しました。

また宝塚時代から外部である東宝映画などにも多く出演し、初のカラー映画で第28回アカデミー賞名誉賞(最優秀外国語映画)の受賞作品となった「宮本武蔵」でお通役として出演、また「蝶々夫人」では主役の「蝶々さん」役を演じるなど、大活躍しました。

女優 八千草薫

八千草薫 岸辺のアルバム
1957年、26歳の時に宝塚を退団後は女優としての道を進み、映画や舞台、テレビで活躍するようになります。
宝塚退団後は良妻賢母のおっとりとした役柄で好評を得るようになります。

その一方で、八千草薫さんの代表作としてあげられるテレビドラマに良妻賢母のイメージを覆したものがあります。それはTBS系テレビドラマ『岸辺のアルバム』で1977年の八千代薫さんが46歳の時に主演の田島則子役として出演し、家族に隠れて不倫する役柄を演じました。

このドラマでは平均視聴率は14.1%と高い数字を当時として高視聴率とまではいかなかったが、放送後にどんどん評判が広がりました。
また幸せな家庭の崩壊を描いた作品として、最後はハッピーエンドというホームドラマの定番を打ち破ったテレビドラマ史に残る名作という評価をされています。

私生活

八千草薫さんは施設活では1957年に映画監督・谷口千吉さんと結婚しています。
八千草薫さんと谷口千吉さんは実に19歳差。
また谷口千吉さんは3度目の結婚で、八千草薫さんと関係を持った時に谷口千吉さんは若山セツ子と結婚しており、不倫関係から関係ははじまりました。
谷口千吉さんはこの不倫が原因で若山セツ子さんと離婚し、谷口千吉さんも映画監督として干されてしまうことなっています。
3度目の結婚、不倫関係からのスタートにもかかわらず、谷口千吉さんはと八千草薫さんはおしどり夫婦として結婚50年目の2007年の死去まで連れ添い、夫婦で登山を楽しんだり、85歳まで八千草薫さんの送り迎えをするなど夫婦関係は円満でした。
ふたりの間には子どもはいませんでした。

八千草薫さんの死因と葬儀内容

八千草薫 樹木葬
八千草薫さんは2019年10月24日午前7時45分、膵臓がんのため東京都内の病院にてお亡くなりになります。88歳でした。

八千草薫さんは2017年末に膵臓がんが見つかり、2018年1月に手術を受けています
手術後の経過は良好で、退院後はドラマの撮影や舞台には主役として出演するなど活躍されていましたが、1年後の2019年に肝臓にがんが見つかります。

肝臓がんが見つかると、2019年4月放送開始予定のテレビ朝日系のドラマで2017年に放送された『やすらぎの刻』の続編『やすらぎの刻〜道』では九条摂子役として出演していましたが降板することになりました。
またこのドラマが遺作となっています。

八千草薫さんはがんが見つかってからは抗がん剤治療を行うため入院し、仕事復帰を目指して闘病していました。
2月9日にがんを公表してから約9カ月。2019年10月24日に還らぬ人となりました。
亡くなる少し前の八千草薫さんは入退院を繰り返していましたが、ゆっくりした足取りながらも自力で歩いていました。
がんによる体の痛みがひどくなったため、10月2日に再入院をしました
入院中は元気に会話をしており、亡くなる前日は、家政婦が作った松茸ごはんと茶碗蒸しを病室でおいしそうに食べられていあたそうです。
亡くなる24日もいつものように午前6時頃に起床され、看護師から体調を聞かれると「いつも通り」と答えていました。
そして朝食を待っている約40分の間に容体が急変し、帰らぬ人となりました。

最後の公の場は登場したのは、膵臓がんであることを発表し、初めて公の場に登場した2019年5月26日に千葉県長南町の森の墓苑(ぼえん)で行われた八千草薫さんが理事を務める日本生態系協会の「いろいろな生きもののためのすまいづくり」というイベントでした。
この森の墓苑では墓石の代わりに地域に自生する樹木を植え埋葬する樹木葬で、一般的な樹木葬とは異なり、50年の年月を経て森と一体化させていき自然に還すことを目的としています。
今回のイベントでは墓地区画以外の場所に野鳥の巣箱や昆虫のための虫宿などを設置し、多様な生き物が生息できる環境つくりを行いました。
八千草薫さんもイベントでは「自然は見るだけでなく、入っていって気持ちの良さを楽しんでもらいたい」とあいさつをされています。

八千草薫さんの葬儀

八千草薫さんのお葬式は所属事務所が取り仕切り、八千草薫さんの希望により近親者のみでお通夜・告別式は執り行われています。
八千草薫さんはお葬式は参列者は10名程で著名人とは思えない質素なもので、特別なことはせず、ただ穏やかに静かに送ってほしいという想いに従いました。
祭壇には八千草薫さんが好きだった野花をイメージしたものが使われたそうです。

告別式が終えてから公式サイトで「【 訃報 】 八千草薫 逝去のお知らせ」として文書が発表されています。

【 訃報 】 八千草薫 逝去のお知らせ ―全文―

令和元年 10月24日 木曜日 午前7時45分
八千草薫が、膵臓がんにより都内の病院にて永眠致しましたのでお知らせ致します。
故人の希望により、お通夜・告別式等は近親者で既に済ませました。
また申し訳ございませんが後日のお別れの会等も故人の希望により予定はございません。
長年にわたり、女優八千草薫を応援、ご指導、ご鞭撻を賜りまして誠にありがとうございました。
ここで謹んでお礼を申し上げます。ありがとうございました。

株式会社 柊企画
山本 淳
原田純一

参考:八千草薫 公式サイト

八千草薫さんは
夫・谷口千吉さんを亡くし、子供も兄弟もいなかったが、生前に遺品整理には着手しており、遺言書も作成していました。
またお骨は夫・谷口千吉さんの眠る湘南にあるお墓に一緒に納骨されています。
八千草薫さんの訃報を受け、たくさんの著名人からコメントが寄せられました。

女優・浜木綿子さんのコメントを紹介します。

驚きました。
私が宝塚歌劇団に入団したときにはもういらっしゃらず、
退団してから、『放浪記』の初演など、東宝の舞台でご一緒いたしました。
本当に美しい方で芯には強いものをお持ちでした。
あのお年まで美しさを保っていらっしゃいましたし、
まだまだおやりになりたかったと思います。
最後にお会いしたのはある方のお葬式でした。
最近、山登りしていらっしゃいますか? とお尋ねしますと、
年ですからやめましたと仰いました。
養生していらっしゃったと思いますが、本当に残念です。
また一人、また一人と上級生がいらっしゃらなくなって寂しいです。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。

八千草薫さんの葬儀のまとめ

八千草薫さんの葬儀は八千草薫さんのイメージ通りといったらおかしいですが、仰々しいお別れ会も行わず、質素に済まされたようです。
また80歳を超えたあたりから終活を思い立ち、生前整理や遺言書の作成をされていたことから、葬儀もしっかり準備をされ、残された方のことをしっかり考えられていたことが推測されました。

自宅で八千草薫さんを毎日出迎えてくれたのが、シェットランド・シープドッグのヴェルディと元野良猫のフィオリ。
八千草薫さんは一人暮らしだったので、ヴェルディを飼うときに一番心配したのは自分がいつ最期を迎えるかわからないのにペットを飼っても良いのということでした。
著書『まあまあふうふう。』でも「自分がもうそろそろ終わるという頃に、この子たちが何歳になるのかを考えないと……」と記されています。

遺言書の中身は公開されていないため、愛犬・愛猫がどうなったかは不明ですが、きっと愛するペットに関する記述もされていることが推測されます。

大女優として活躍されてきた八千草薫さん。
その人生はおだやかで、愛する人と一緒に過ごした日々でした。
また小さな命も大切にし、“おたまじゃくしがかわいそう。なんとかならないでしょうか?”と相談をしたこともあったそうです。

八千草さんの著書は『まあまあふうふう。』ではこう結ばれています。
うれしいこと楽しいことはたくさんありました。大変なこと、つらいことやしんどいことも、まぁ、それなりにあったのかもしれません。それもこれもみんな一緒にして、「幸せだったなあ」と思います。

そう思いながら、私は今も、小さなところで、幸せに、楽しく、暮らしています。
それで十分です。

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