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鳩山邦夫さんの葬儀~政治家のお葬式~

代々政治家や教育者を輩出している鳩山ファミリー出身で、法務大臣や総務大臣などを務めた衆議院議員の鳩山邦夫さん。政治家という顔以外にも、多彩な趣味を持ち、人望も厚かったそうです。
今回は、鳩山邦夫さんの葬儀についてご紹介致します。

【目次】
1. 鳩山邦夫さんはどんな人?
2. 鳩山邦夫さんの死因と葬儀内容とは
3. 鳩山邦夫さんの葬儀まとめ

1. 鳩山邦夫さんはどんな人?

鳩山由紀夫 東京大学
鳩山邦夫さんは、1948年(昭和23年)9月13日、東京都にて外務大臣を務めた鳩山威一郎氏の次男として生まれます。
代々政治家か教育者という家系で、4代続けて東大卒という秀才一家です。
鳩山邦夫さんも、学習院初等科、学習院中等科、東京教育大学附属高等学校(現・筑波大学附属高等学校)を経て、東京大学法学部第3類(政治コース)卒業後、同学部第2類(公法コース)に学士入学しています。
素晴らしい学歴の持ち主ですが、元々は勉強嫌いで、子供の頃には庭で野菜を栽培したり、蝶を追いかけて過ごすことが多い少年でした。
ただ、周りの雰囲気から、小学校3年生の時点で「東大に行くのは当たり前」と思っていたそうです。
中等科を卒業するまでは、「勉強なんて晩飯前に終え、学校の定期試験はお茶の子さいさいでいい点を取るくらいでないと、東大合格などおぼつかない」という恩師の言葉を受け、夕食後は一切勉強をしない方針を貫いていたそうです。

学生の頃から政界入りを志望していた鳩山さんは、田中角栄氏の下を訪ねています。
田中氏は「もし自分が首相になったら秘書にする。福田赳夫が首相になったら、福田に紹介する」と約束した上で、見聞を広めるため海外への遊学を鳩山に勧めています。
鳩山さんは田中氏の助言を受け、東大を卒業しアメリカ・スタンフォード大学に留学していた兄の由紀夫さんを頼り、数ヶ月間アメリカに滞在した後、帰国しました。その後、田中氏の秘書となっています。

<政治家としての経歴>
鳩山由紀夫 国会議員
政界へは、1976年の第34回衆議院議員総選挙に新自由クラブ推薦で旧東京8区から出馬し、初当選。
同じく無所属の宇都宮徳馬氏、麻生良方氏と衆院無党派クラブを結成しました。
1979年の第35回衆議院議員総選挙において落選しますが、8か月後に行われた第36回衆議院議員総選挙で国政に復帰。1978年12月に自民党入党後は、田中派から竹下派に所属しました。
1991年、宮澤内閣で文部大臣に就任し、政界入りから16年目で初入閣を果たします。
文相在任中、「学力偏差値追放」を訴え一斉業者テストを廃止しています。

1993年には自民党を離党し、第40回衆議院議員総選挙では無所属で当選。
細川内閣発足後もしばらくは無所属で通していましたが、1994年1月、前年に自民党を離党した西岡武夫氏、石破茂氏らと院内会派・改革の会を結成しました。
細川護煕首相の退陣を受けて発足した羽田内閣では労働大臣に就任するも、羽田内閣は2ヶ月で退陣に追い込ます。
改革の会は高志会、新党みらい、自由党と共に自由改革連合を結成しますが、同年12月に解散したため、以降は新進党結党に参加しています。

1996年に新進党を離党し、兄・由紀夫氏らと旧民主党を結党、副代表に就任します。
更に1998年、民政党の合流により民主党が結成されると、東京都連初代会長に就任しました。
しかし、党の路線をめぐり、徐々に兄弟間で対立が目立つようになります。
その後、民主党を離党し、1999年東京都知事選挙に立候補しますが、一歩及ばず、2位で落選しています。
都知事選落選後は民主党からは距離を置き、2000年に自民党に復党しています。

2000年の第42回衆議院議員総選挙では、自らは東京ブロック比例単独候補として出馬し当選、2002年に衆院議院運営委員長に就任しています。
そして2003年10月には、衆議院永年在職議員の表彰を受けています。
2005年の第44回衆議院議員総選挙からは、ブリヂストン創業者である母方の祖父・石橋正二郎氏の出身地である久留米市を主要地盤とする福岡6区へ国替えし、古賀一成氏を破って当選しました。
2007年の安倍改造内閣で法務大臣に就任するが、安倍晋三首相は間もなく病気辞任。
福田康夫内閣にて、法務大臣に再任されています。

その後、2008年年9月に発足した麻生内閣で総務大臣兼内閣府特命担当大臣に就任しましたが、翌2009年6月12日、日本郵政西川善文社長の進退問題を受け、辞任しています。
2010年には自民党に離党届を提出し、2011年6月には派閥横断型の政策グループ「きさらぎ会」を設立しています。
2011年の年末には、自民党に復党届を提出しますが、党内の反発で先送りされてしまいます。
そのため、2012年の第46回衆議院議員総選挙には無所属で出馬し、自民党の推薦を受けて当選しました。
翌日、安倍晋三総裁宛ての復党願を同党福岡県連に提出。その後、党紀委員会にて復党が了承され、2年ぶりに復党しました。
2014年の第47回衆議院議員総選挙には自民党公認で出馬し、13選目を果たします。
鳩山さんは、自民党の離党・復党を繰り返したことから「政界渡り鳥」とも言われていました。

<人柄が分かるエピソード>
多彩な趣味を持っていた鳩山邦夫さん。
特に、料理の腕前はプロ級で、チャーハンやトンポーローなどの中華料理が得意。
自宅の畑では、お米や麦のほか、カボチャや大根、シイタケなど無農薬野菜を育て、その野菜で料理するのが好きだったとか。
学生の頃には、兄・鳩山由紀夫さんのために餃子を皮から作って食べさせてあげたり、政界に入ってからは、歴代の秘書のために自宅で朝食を作って食べさせていたそうです。
自分で作った野菜をご近所の方に配るなど、周りの人と気さくに接する一面もあったようです。
日本社会党の山花貞夫氏が、料理好きな鳩山さんのために京都から取り寄せた包丁をプレゼントすると、その包丁を18年間大切に愛用していたと言います。
プロ野球では中日ドラゴンズのファンを公言しており、2007年に中日ドラゴンズが日本シリーズを制した際には、中日スポーツに祝福のメッセージを送ったそうです。
また、少年の頃から蝶が好きで、大人になってから学問として研究するまでとなるエピソードが、柏原精一さんの『昆虫少年記』で紹介されています。
蝶の採集家として政界でも著名で、蝶についての著作もあります。

2. 鳩山邦夫さんの死因と葬儀内容とは

2016年6月21日、鳩山邦夫さんは、十二指腸潰瘍のため都内の病院にて亡くなりました。
67歳でした。
亡くなる3週間ほど前に衆議院本会議に出席していましたが、非常に痩せ細った姿が見られ、健康不安説が流れていました。しかし、事務所の関係者はこれを否定し、「炭水化物ダイエットで6キロほどやせただけで、むしろ健康になった」と言っていました。
死因は、十二指腸潰瘍による失血性ショックと報じられました。亡くなる前日まで仕事をしていたそうですが、自宅で具合が悪くなり吐血し、救急搬送されるも、翌日の朝に再び出血し、帰らぬ人となりました。

鳩山邦夫さんのお別れの会は7月12日、自由民主党と鳩山家の合同主催で、東京都港区の青山葬儀所で行われました。
喪主は妻の鳩山エミリーさん。葬儀委員長は内閣総理大臣 自由民主党総裁の安倍晋三氏が務めました。
当日は故人とのお別れに与野党の国会議員や故人とのゆかりのある方々、約3,000人の人たちが会場を訪れました。
前日、7月11日に福岡県久留米市のホテルマリターレ創世で開かれたお別れの会では約2,000人が参会しており、あわせると2日間で約5,000人の方が参会しています。
11日に福岡で開かれたお別れの会では、故人が大好きだった蝶をデザインした祭壇が飾られましたが、12日に東京で開かれたお別れの会の生花祭壇はシンプルに、まっ白な花で飾られていました。
お別れの会では、政治家をはじめゆかりの方が数多く参会し、祭壇にまっ白な花なカーネーションを捧げて、早すぎる別れを惜しみました。
安倍首相が捧げた弔辞では、鳩山さんの功績とともに豪快で多くの議員に慕われていた人柄が語られ、妻のエミリーさんの挨拶では、まっすぐで愛情深い優しい人柄が語られました。
最後の言葉は、エミリーさんに向けた「苦労をかけたね。ありがとう」だったそうです。

3. 鳩山邦夫さんの葬儀まとめ

名家出身で華々しい経歴を持ちながらも、人との距離を縮め、人望が厚かった鳩山邦夫さん。
お兄さんの鳩山由紀夫さんとは、一時期は政策の違いから距離が遠ざかった時期もありましたが、元々は仲の良い兄弟だったようです。お通夜の際に由紀夫さんは、邦夫さんが眠る棺に顔を近づけ、15秒ほど何も言わずに見つめていたそうです。「何事も兄を追い越していた弟でしたが、人生まで追い越すとは兄として寂しい限りです。」という言葉からも、突然の弟との別れを悲しむ姿が窺えます。
自宅には仕事を持ち込まず、料理や畑仕事、蝶の話ばかりしていたと言います。
政界人として豪快に生きながらも、細やかな気配りと愛情のある鳩山さんの功績と人柄は、後世まで語り継がれていくことでしょう。

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