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山田康雄さんの葬儀~声優・俳優のお葬式~

声優の山田 康雄(やまだ やすお)さんは日本の国民的アニメ「ルパン三世」に登場する主人公ルパン三世の声優です。
「ふ~じこちゃーん」というルパンの声は日本国民なら誰もが耳にしたことがあるでしょう。
そんな昭和を代表する声優・俳優「山田 康雄」さんのお葬式について詳しく解説していきます。

【目次】
1.山田康雄さんはどんな人?
2.山田康雄さんの死因
3.山田康雄さんの葬儀
4.山田康雄さんの葬儀のまとめ

山田康雄さんはどんな人?

生い立ち

山田康雄さんは1932年9月10日に東京府東京市大森区(現東京都大田区)雪ヶ谷町で誕生。
1945年に東京都立第一中学校(現日比谷高等学校)に進学し、野球部に在籍していました。

山田康雄さんは幼い頃より映画が大好きで、高校生の頃は学校をさぼって映画館によく行っていたそうです。
そんな映画ばかり見ているときに1947年のアメリカコメディ映画『虹を掴む男』と出会い、
主演俳優Danny Kaye(ダニー・ケイ)のコミカルな演技に惹かれ、コメディを演じられる喜劇役者を志すようになりました。

山田康雄さんはすぐに高校卒業後はすぐに役者を目指すわけではなく、大学への進学を目指します。
東京大学に受験するが失敗し、早稲田大学第一文学部英文科に入学しました。
東京大学を目指した理由は、六大学野球ではレベルが低く、レギュラーが取れそうだったからという理由でしたが、山田康雄さんは校内での成績が71位だったため、無謀な挑戦というわけでもありませんでした。

役者としてのキャリア

大学生へ進学すると、学生劇団である自由舞台に入団しました。
その後、1953年に新劇団の代表格でも滝沢 脩さんや宇野重吉さんが1950年に立ち上げ劇団民藝の入団試験に合格し、大学を中退し研究生として入団しましたが、俳優としての活動がスタートしましたが、
厳しい基礎練習ばかりで自分のやりたいの毎日に嫌気が指し1年で退団してしまいます。
この時の山田康雄さんのあだ名は「サボリーマン」。練習をさぼってばかりだったためこの二つ名がついたようです。

声優 山田康雄誕生

山田康雄 葬儀 ローハイド
山田康雄さんはフリーの役者としてラジオやテレビに出演するなど活動していましたが、1958年に転機が訪れます。
それまでに何度か共演をしていた熊倉一雄さんに誘われ劇団テアトル・エコーに入団しました。
そこで初めて舞台を経験し、朝倉一雄さんがメインキャスターの吹き替えを担当していた、アメリカのミステリー番組「ヒッチコック劇場」の「オレゴンの靴」という回で主役である犯人の吹き替えを依頼されました。
朝倉一雄さんは山田康雄さんを声優に誘ったのは「容姿も良く、口も達者だったのでピッタリだった。」というのが理由でした。
しかし山田康雄さんはこの役を何度もNGを出してしまい最終的にその役を降板させられてしまいます。
山田康雄さんは5年ほどの短いキャリアにもかかわらず舞台でもすぐに主役の座を掴み声優という仕事を「口の動きに合わせて日本語を話せばいいだけ」と思いあがった気持ちで収録に臨み、その結果は散々なものとなりました。山田康雄さんは深く反省し、その日から心機一転し、芝居の稽古に励みました。

これをきっかけに声優として成功を収めていくことになります。
その1年後の1959年、海外ドラマ『ローハイド』において主役の隊長ギル・フェイバー(俳優:エリック・フレミング)の右腕の準主役 副隊長のロディ・イェーツ(俳優:クリント・イーストウッド)の吹き替えに抜擢されました。それがはまり役となり、クリント・イーストウッドの吹き替えといえば、山田康雄と世間から認知されるようになりました。
その後はテアトル・エコーでは看板俳優として活躍し、声優業でもクリント・イーストウッドやジャン=ポール・ベルモンドの吹き替えを担当するようになりました。

ルパン三世との出会い

そして1971年からはアニメ「ルパン三世」のルパン三世役に声優に起用されるようになります。
ルパン三世役はその後、劇場映画第五作『ルパン三世 くたばれ!ノストラダムス』のアフレコに入る直前に山田康雄さんが脳溢血で倒れるまでの1995年まで21年間、ルパン三世役を務めることになりました。

山田康雄さんといえば昭和を代表する声優のイメージですが、あくまで本業は俳優であり、声優業だけではなく数多くのNHK大河ドラマ「風と雲と虹と」では小一条院の家司役、NHK連続テレビ小説「雲のじゅうたん」ではヤクザ役などのドラマ出演や数々の舞台にも出演しています。
またテレビ番組「お笑いスター誕生!!」(日本テレビ系)や「独占!スター生情報」(テレビ東京)では司会進行として出演し、声のみならず顔まで一般に認知されました。

声優の地位向上にも貢献

山田康雄 声優
声優という職業が定着し、人気の職業となったことに山田康雄さんの功績が非常に大きいといえます。
昭和40年代の声優のギャラはそれほど高くはありません。
新人ともなると1回の収録で3000円程度でした。また再放送された場合はギャラが0円が当たり前でした。
それが現在では新人でも1回の収録で14000~15000円程度、再放送では1.8倍の25000~28000円程度のギャラが相場となっています。

山田康雄さんが声優が声優だけの仕事でやっているいけるようにするために、声優のギャラの向上を求めてテレビ局にデモを起こしたことがあります。山田康雄さんは声優だけではなく、コメディなどの番組も持っていたため番組降板などのリスクがありましたが、声優全体の地位の向上のため問題に立ち向かい、結果として再放送のギャラが認められるなどの功績を残しました。

山田康雄さんの死因と葬儀内容

山田康雄さんは1995年3月19日、脳出血のため、62歳でお亡くなりになりました。
1993年に低カリウム血症により入院をしました。それから同年に『ルパン三世 ルパン暗殺指令』の収録を行いましたが、体調を崩し立っていることが難しくなり、途中から椅子に座って収録しています。
また遺作となった1994年の『ルパン三世 燃えよ斬鉄剣』でも体調不良を押してでの出演となりました。
1995年の『ルパン三世 くたばれ!ノストラダムス』では、予告編の収録を山田康雄さんが担当したが、山田康雄さんは収録の際に車椅子で現れました。
その後、『ルパン三世 くたばれ!ノストラダムス』の収録を行うため、山田康雄さんはスタジオに入っていますが、本編のアフレコに入る直前に倒れたため、急遽、栗田貫一さんが代役としてルパンを担当することになりました。
そして、1995年2月17日午後3時30分に脳出血で自宅で倒れ、東京都立荏原病院に入院しました。その後、意識不明の状態が続き、3月18日夜に容態が急変し、3月19日午前6時35分、お亡くなりになりました。山田康雄さんが急逝したことにより、栗田貫一さんが正式に2代目ルパン三世役の声優を引き継ぐことになりました。

山田康雄さんの葬儀

山田康雄さんの急逝を受け、各テレビ局は山田康雄さんの急逝を報道し、山田康雄さんの追悼企画が次々と組まれましたが、3月20日に地下鉄サリン事件が発生したことにより取り上げられるなく埋もれてしまいました。葬儀の内容なども詳細は不明となっていますが、葬儀の席では、モンキー・パンチさんや納屋吾朗さん、栗田貫一さんなどが参列されています。

また弔辞は納谷悟朗さんが読まれました。
納谷悟朗さんは山田康雄さんの遺影に向かい、銭形の口調で「おい、ルパン。これから俺は誰を追い続ければいいんだ!?」、「お前が死んだら俺は誰を追いかけりゃいいんだ」と涙ながらに呼びかけましたというエピソードが残されています。また『ルパン三世 くたばれ!ノストラダムス』では、スタッフロールが流れたあとに、山田康雄さんに哀悼の意を込めて「永遠のルパン三世 山田康雄さん ありがとう」という追悼テロップが付け加えられています。山田康雄さんのお墓は東京都府中市の多磨霊園にあります。

山田康雄の葬儀のまとめ

今回は、昭和を代表する声優でもある俳優・声優の山田康雄さんの葬儀について紹介しました。
山田康雄さんがいたからこそ、声優がゆるぎない地位の仕事となり、アニメや洋画などが素晴らしい作品となっています。
山田康雄さんのプロ意識は声優や俳優を目指す方にとってお手本となり、これからも引き継がれていくことでしょう。

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