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中村紘子さんの葬儀~ピアニストのお葬式~

ショパン国際ピアノコンクールで、日本人としては2人目の入賞者として広くその名を知られている中村紘子さん。
国内外で3800回を越える演奏会を行いながら、後年はコンクールの審査員や若手の育成に力を注いでいました。
今回は、世界的にも有名な中村紘子さんの葬儀について紹介いたします。

【目次】
1. 中村紘子さんはどんな人?
2. 病気との闘いと葬儀内容とは
3. 中村紘子さんの葬儀まとめ

1. 中村紘子さんはどんな人?

中村紘子
中村紘子さんは、1944年7月25日に疎開先の山梨県東山梨郡塩山町(現在の甲州市)に生まれ、東京都世田谷区等々力で育ちます。戸籍上は、お母さんの妹として入籍されています。

3歳半からピアノを習い、桐朋学園の「子供のための音楽教室」の第1期生で、4歳から井口愛子さんに師事していました。同期には小澤征爾さん、堤剛さん、江戸京子さんなどがいます。
慶應義塾幼稚舎在学中、両親が離婚し、その後はお母さんに育てられます。

1954年、全日本学生音楽コンクールピアノ部門小学生の部で全国第1位入賞。
慶應義塾中等部に進み、1958年、全日本学生音楽コンクールピアノ部門中学生の部で全国第1位入賞します。また、翌年の日本音楽コンクールでは、第1位特賞を受賞しました。
1960年には、岩城宏之さん指揮の東京フィルハーモニー交響楽団の演奏会にソリストとしてデビューを遂げます。さらに、NHK交響楽団初の世界ツアーのソリストに抜擢されています。
その後、桐朋女子高等学校音楽科を中退して渡米、日本人として初めての全額奨学金を獲得してジュリアード音楽院に進み、ロジーナ・レヴィーンさんに師事しました。

1965年には、ズビグニェフ・ジェヴィエツキさんに師事し、第7回ショパン国際ピアノコンクールで、第4位入賞と最年少者賞を併せて受賞します。これは、1955年の第5回ショパン国際ピアノコンクールで、田中希代子さんが第10位で日本人として初入賞して以来、10年ぶり二人目の入賞という快挙でした。

1974年9月に、芥川賞作家の庄司薫さんと結婚します。馴れ初めは、演奏旅行で家を空けることの多い中村さんの愛猫を庄司さんが預かっていたことがきっかけで交際に発展し、結婚するに至りました。

ショパンコンクール入賞以後、世界各国で演奏活動を続ける一方で、ショパン、チャイコフスキー、アルトゥール・ルービンシュタイン、ブゾーニをはじめとする様々な国際コンクールの審査員を務めるようになります。
日本では第3回浜松国際ピアノコンクールから審査委員長を務めます。そこでは、コンクール創立10年たらずで国際ピアノコンクール連盟に加盟させるなど、一級レベルの国際ピアノコンクールにまで持ち上げ、若いピアニストの育成にも力を入れました。
ノンフィクション作家・エッセイストとしての顔も持ち、1989年には『チャイコフスキー・コンクール』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しました。
また、2005年にはエクソンモービル音楽賞受し、2008年には紫綬褒章受章しています。

2. 病気との闘いと葬儀内容とは

中村紘子
中村さんは、2014年に腸閉塞の腹腔鏡手術を受けますが、その際に大腸がんが見つかります。手術では、がんのすべてを取り除くことが出来ず、治らないことを自覚しながらも、様々な治療を続けていました。
副作用に悩まされながらも、「がんが治っても、ピアノが弾けなくなるのは困る」と、2015年3月には復帰を果たします。
しかし、2015年8月には、大腸がんの治療に専念するため、再び演奏活動を休止します。
当初は11月以降の復帰を目指していましたが、2016年3月まで活動休止が延長されました。
2016年4月30日にはニューザ川崎シンフォニーホールで、同年5月4日にはオリンパスホール八王子で復帰のコンサートを開催します。それが、中村さんの生涯最後のコンサートとなりました。
そして、72歳の誕生日を夫の庄司さんと自宅で祝った翌日の2016年7月26日、中村さんは帰らぬ人となりました。

中村紘子さんの葬儀は近親者のみで行われ、四十九日にあたる9月12日に、「偲ぶ会」および「お別れの会」が東京港区にあるサントリーホールで開かれました。
大ホールで行われた「偲ぶ会」では、関係者約850人が集う中、サントリーホール館長であるチェリストの堤剛さんをはじめ、36年間にわたってニューイヤー・コンサートで共演を続けてきた東京交響楽団など、故人と共に音楽の道を歩んできた人々が、中村さんが好きだったという曲を奏で、献じました。
また、衆議院議員の細田博之さんや指揮者の外山雄三さん、生前から交流の深かった日本文学研究者ドナルド・キーンさんが、それぞれの思いを込めて、追悼の辞を読みました。
「偲ぶ会」の最後には、今年4月にサントリーホール30周年に寄せて収録した中村紘子さんの最後のインタビューの模様も放映されました。
舞台に向かって左上には、中村紘子さんデビュー50周年を記念したCDのジャケットに使用した写真が掲げられていました。

一方、小ホールのブルーローズでは「お別れ会」が開かれ、中村さんが生前愛用していたレコードやCDなどの記念の品々や写真が展示されました。
祭壇には、中村さんが好きだったという白い花を中心に2000本の花が飾られました。
中村さんのコンサートに足を運んでいらっしゃった美智子皇后陛下から贈られた花も飾られていたと言います。
また会場には、中村さんの夫である庄司さんが「夢」と書いた色紙が置かれ、参会者が思い思いに中村さんへメッセージを綴っていました。

3. 中村紘子さんの葬儀まとめ

幼い頃から天才ピアニストとして注目を集め、1960年に華々しくデビューを飾った後も、第7回ショパン国際ピアノコンクールで入賞を果たすなど、数々の偉業や功績を残した中村紘子さん。
中にはお茶の間で、カレーやコーヒーのCMなどに出ている中村さんの姿を見かけた方もいることでしょう。
20世紀最高の音楽批評家の一人とされるハロルド・ショーンバーグさんから『「絢爛たる技巧」と「溢れる情感」そして特に「ロマンティックな音楽への親和力(affinity)」にある』と評された中村さんのピアノは、多くの方の心を惹きつけ、これからも記憶に残っていくことになるのではないでしょうか。

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