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ホレーショ・ネルソン ~海軍提督のお葬式~

ナイルの海戦やトラファルガー海戦などナポレオン戦争での活躍が知られるイギリスの英雄、初代ネルソン子爵ことホレーショ・ネルソンは、トラファルガー海戦で戦死した後、平民出身者としては初の国葬が行われた人物です。
今回はイギリス海軍提督、ホレーショ・ネルソンの生涯と葬儀を紹介します。

【目次】
1. ネルソン提督はどんな人?
2. ネルソン提督の死因と葬儀内容とは
3. ネルソン提督の葬儀まとめ

ネルソン提督はどんな人?

ネルソン提督
ホレーショ・ネルソンは1758年9月29日グレートブリテン王国、イングランド・ノーフォークで教区牧師の家庭に平民の子として生まれました。
ネルソンが12歳の時、父親の病気が原因で家庭が逼迫したためネルソンは艦長だった母方の叔父を頼り海軍に入りました。
1777年海尉昇進試験に合格したネルソンは翌年に海尉艦長として初めて指揮艦を得た後、若干21歳で勅任艦長に任じられます。

1787年未亡人の女性と結婚したネルソンは、フランス革命戦争の勃発により戦列艦アガメムノンの艦長として地中海に向かいフランス艦と初の戦闘を行います。ネルソンはフランスとの戦争の中でコルシカ島では陸上作戦の指揮を取り、作戦中にカルヴィ攻略戦で右目の視力を失いました。

1796年地中海艦隊の戦隊司令官に任命されたネルソンは翌年のサン・ビセンテ岬の開戦に参戦します。この時は後方の戦列を担当していましたが、逃走するスペイン艦隊へ艦隊司令官の命令を無視して猛進、激しい砲火を交えて敵艦を拿捕しました。この功績のためにネルソンはバス勲爵士を授かり青色艦隊少将に昇進されます。ただ、この年にカナリア諸島のテネリフェ島の攻略には失敗し、その時に負傷した右腕を切断しています。

更に1796年にはエジプト遠征を意図するナポレオンのフランス艦隊を封鎖する任務のため旗艦ヴァンガードで地中海分遣艦隊を率いてトゥーロンに向かいます。嵐に遭った影響もあり一時はナポレオンのエジプト上陸、加えてアレクサンドリア入城を許しますが、アブキール湾に停留中だったフランス艦隊を発見、危険を顧みない攻撃により艦隊を撃滅させます。
後にナイルの海戦と呼ばれるこの戦いで、当時浅瀬を背に防御陣形を取ったフランス艦隊の作戦は考え得る限り最高の防御態勢と言われていましたが、ネルソンは大胆にも艦艇を陸地とフランス艦隊との間に割り込ませる手段に出ました。浅瀬を背にしていたフランス艦隊は陸側からの攻撃を警戒しておらず、一方的にイギリス艦隊の猛攻を受けることとなりました。
ナポレオンに大勝利を収め地中海の制海権をイギリスが得たこの戦いでネルソンは名声を高め、一方でフランス海軍にはネルソン恐怖症が広がり、それは後のトラファルガー海戦まで引きずられることになったそうです。

1801年、青色艦隊中将に昇進したネルソンは副司令官としてコペンハーゲンの海戦で指揮を取ります。この海戦では予想以上に激化する戦闘に「戦闘中止」と信号旗で伝えた司令官に対して副司令官のネルソンは、それを見えない右目に望遠鏡を当てて黙殺したと言われています。厳しい戦いを制したネルソンは、この勝利により遂に子爵の地位を手に入れました。

ネルソン提督の死因と葬儀内容とは


1805年10月21日。スペインのトラファルガー岬の沖でイギリス艦隊とフランスとスペインの連合艦隊の交戦が始まりました。このトラファルガー海戦でイギリス艦隊は数で勝る連合艦隊に対し一隻の艦の喪失もない海軍史上でも稀な大勝利を収めました。
ネルソンはトラファルガー海戦でネルソン・タッチと呼ばれる分断作戦を取り、もっとも危険な突撃の先頭に自身が乗船する旗艦ヴィクトリー号を立たせました。そして飛び交う砲弾や銃弾に混乱する甲板に立ち、指揮官が自らリスクを負う姿を部下たちに見せました。
そしてトラファルガー海戦の大勝利と引き換えかのように、ネルソンは接舷したルドゥタブル海兵隊からの銃弾を受け命を落とします。

慣例に従えば船上で戦死したネルソンの遺体は水葬されるものでしたが、ヴィクトリー号に乗船していた軍医がネルソンほどの人物は国葬が行われるだろうと予想してイギリスまで遺体を保存して持ち帰ることにしました。
元より海戦で死ぬ覚悟を持っていたネルソンは、ヴィクトリー号にナイル海戦の際のマストで作った棺を乗せており、腐敗を防ぐために遺体はアルコールに浸けられていたという話があります。この時のアルコールはフランスのブランデーだったともコニャックだったともラム酒だったとも言われていますが、偉大なネルソンにあやかろうとした水兵たちがこの酒を飲み干してしまい帰国した際には空だったという逸話も伝わっています。

故国イギリスに戻ったネルソンは翌年に君主以外の人物では初の盛大な国葬で送られました。水上葬儀の責任者はホーンブロワー艦長が務められました。セント・ポール大聖堂のドームの真下あたりに収められた大きな大理石で作られた棺は、いまも変わらずその場に安置されています。

3. ネルソン提督の葬儀まとめ

隻眼、隻腕となりながらもナイルの海戦前には「明日の今頃にはウェストミンスターに葬られるか、貴族となっているかだ」との言葉を残し、生涯を艦隊決戦に傾けたネルソン提督は、兵士たちの待遇改善や健康管理に気を配ったとの逸話が多数のこされています。トラファルガー海戦でネルソンが開戦前に掲げた「duty」の信念は今もイギリスという国に受け継がれ、英雄としての彼の存在と共にこれからも称えられることでしょう。

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