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栗城史多さんの葬儀 ~登山家のお葬式~

栗城史多さんは2018年5月21日、下山中の転落事故によりお亡くなりになりました。

栗城史多さんは世界最高峰であるエベレストをはじめ数々の過酷な山に挑み、撮影した映像をSNSなどで配信するという異色の登山家でした。偶然出会った登山に生きがいを見つけ、ネットを通じて自らの登山の様子を伝え「冒険の共有」を始めました。山に興味のない若い世代を中心に熱烈な支持を集める一方で、実力以上の登山方法は無謀だ、といった批判を受けるなど、ネット社会を騒がせる存在となり、栗城史多さんの名前は多くの人に知られるようになりました。

今回はそんな葬儀・お別れ会についてご紹介します。

【目次】
1.栗城史多さんはどんな人?
2.栗城史多さんの死因と葬儀内容とは
3.栗城史多さんのお別れ会について
4.栗城史多さんの葬儀まとめ

栗城史多さんはどんな人?

山
栗城史多さんは1982年6月9日に北海道瀬棚郡今金町に生まれます。その後、栗城史多さんは大学で山岳部に入ったことをきっかけに登山に目覚めます。
2004年には初の海外旅行にも関わらず北米最高峰マッキンリー(標高6,194m)への登山に挑み、見事単独登頂に成功しました。これを皮切りに、わずか3年半の間に世界7大陸最高峰のうち6大陸の最高峰への登頂を成功させています。

そして、栗城史多さんは7大陸最高峰のうち、唯一登頂できていなかった世界最高峰のエベレストへの挑戦を始めます。2012年にはエベレスト登頂にチャレンジ中、強風のため両手・両足・鼻が重度の凍傷になってしまいます。命を落としてもおかしくない状況の中、なんとか救助されますが両手9本の指を失いました。

そんな栗城史多さんは登山に対して「無酸素・単独登山」にこだわりました。「無酸素・単独登山」はかなり厳しいものとなっており、世界最高峰レベルの山となれば命すら落としてしまう危険がありました。こうした無謀すぎる挑戦に対しては一部の人から反対されたり、ネット上でも厳しく叩かれることがありました。しかし、こうした命の危険すらある厳しい条件を課しつつも栗城史多さんは実際に標高8000mを超えるいくつもの山々に「無酸素・単独登山」での登頂に成功しています。

こうした厳しい登山に対して「なぜチャレンジし続けるのか」と質問された栗城史多さんは「否定という壁をなくしたい」と答えています。厳しいチャレンジに対して否定をされたり、叩かれても挑戦し続けた栗城史多さんの姿は何かに対してチャレンジし続ける人に大きな勇気と希望を与え続けたのではないでしょうか。

なお、世界中の最高峰へチャレンジしていた栗城史多さんは登山だけではなく、「冒険の共有を」テーマに一年の半分ほど全国で講演活動を行っていました。講演スタイルは栗城史多さん単独のものと他者とのコラボによる講演会がありました。単独講演では小中学校、高校、各種団体企業から招かれての講演と栗城史多さんの熱烈な個人ファンが組織した実行委員会主催などによる講演が多かったようです。

栗城史多さんが亡くなったときは、8年以上も続いたアンチスレも悲しみにつつまれ、追悼の言葉が寄せられました。批判の声も悲しみに代わるほど栗城史多さんの存在は偉大なものだったわかります。

栗城史多さんの死因と葬儀内容とは

栗城史多さんの死因はエベレスト登山中の転落事故によるものと公表されています。当日は8度目のエベレストへの挑戦中でした。栗城史多さんはエベレストの南西壁の「キャンプ3」(標高7400メートル)まで登ったところで、テントを張れる場所を探して標高を下げ、テントを張ったものの、しばらく経過してから体調不良を理由に「下山します」と撮影隊に無線で伝えた後、下山を始めました。その後、連絡が取れなくなり、時間が経っても下りてこないことから撮影隊が登って捜索すると、標高6600メートル付近で亡くなっている栗城史多さんを発見したそうです。遺体の状態から推測して、恐らく100~200メートルほど滑落したものとみられ、滑落したものの遺体の損傷は大きくなく、安らかに眠っておりましたと関係者の方が説明しています。

葬儀については、生まれ故郷の北海道の自然の中で、親族のみで静かに見送りたいというご遺族の意向により親族のみの密葬を執り行ったそうです。

栗城史多さんのお別れ会について

厳しい登山を通して多くの人に勇気と希望を与え続けた栗城史多さんには多くのファンがいました。栗城史多さんが亡くなったことでファンからは悲しみの声が溢れました。また、栗城史多さんはその無謀ともいえるチャレンジによって一部の人から叩かれることもありましたが、栗城史多さんが亡くなった際にはこうしたアンチと呼ばれる人達も哀悼の意を表したそうです。

こうしたファンや栗城史多さんの活動を応援してくれた人のために、所属事務所によってお別れ会が開かれました。場所は栗城史多さんの出身地である北海道で開かれました。

さらに2018年10月27日から28日にかけては追悼ギャラリーが開かれています。追悼ギャラリー「栗城史多は、誰?」は二日間で2000名を超える人が訪れています。ギャラリーには写真や栗城さんが残した言葉、映像や登山時に使用されていた衣服や用具が展示されていました。そしてメインギャラリーには「栗城氏があなたにとってどんな存在だったか?」を家族や地元の先輩、スポンサーに到るまで、多くの方に問い、その答えが一つ一つの柱に記されていたそうです。この追悼ギャラリーはその後、大阪でも開催されました。

栗城史多さんの葬儀まとめ

山
世界最高峰に何度もチャレンジし最後まで自分の信念を貫いた栗城史多さんの生き方に多くの人が胸を動かされたのではないでしょうか。また、あえて厳しい挑戦に挑み続け、それを多くの人に共有した栗城史多さんの生き様は同じように何かに挑戦している人に勇気と希望を与えたのではないでしょうか。

栗城史多さんの最期まで諦めずにチャレンジし続けた姿は人々の記憶にいつまでも残るものでしょう。

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